2012年6月3日日曜日

アンデス越え メンドーサからサンティアゴへ


ブエノスアイレスからバスで約15時間、アンデス山脈の麓の街メンドーサに着く。
この街に特に思い入れがあるわけではなく、ただサンティアゴへ抜けるための経由地点として一日間立ち寄っただけ。
そう、ここからアンデス山脈を越えれば向こう側はもうチリ。

そしてこの峠道、歴史的に重要な役割を果たしている。
アルゼンチン独立運動の英雄サン・マルティン率いる解放軍がチリの独立運動の応援に行く際にもこのメンドーサを拠点にアンデスを越えていった。
それだけではない。
この峠のすぐ脇にはアンデス最高峰、標高6962m(ヒマラヤ山系を除くと世界一)のアコンカグア山が聳え、バスからもよく見えるという。

そんなもんだから、これは飛行機で簡単に行っちゃうよりバスで時間をかけて峠越えをした方が全然価値があるだろうと判断したわけである。

しかしメンドーサのバスターミナルに着くと、とんでもないニュースが飛び込んできた。

「メンドーサとサンティアゴを結ぶ峠道は、暴風雪により3日間連続で閉鎖しています。」
と。

7月までは大丈夫だと聞いていたのに・・・
とりあえずバスのチケット売り場に行き、いつ開通する見込みかを尋ねると・・・
「明日には開通するでしょ」と一言。
ほんとかよ!! 
まぁバスの変更などもできるらしいので、とりあえず次の日のサンティアゴ行のバスチケットを購入して市内へ。
ホステルに着き、一休みがてら置いてあった新聞を広げてみると一面に峠道閉鎖の記事。
どうやら雪だけでなく、暴風により山の上からゴロゴロとトラック三台分に匹敵する巨石が落ちてきて完全に道を塞いでいるらしい。
あらま。

明日は無理か、と半分諦めてその日の午後はメンドーサ市内を散歩。
郊外には大きな公園もあり、紅葉した木々とその背景に見えるアンデス山脈が美しい。


翌日、朝早く同じホステルに泊まっていたドイツ人とバスターミナルに向かってみると・・・
なんと!! ちゃんと動いているようである。
早速バスに乗り込み出発。

サンティアゴまでの道のりは約7時間。
しかし、この7時間があっと言う間に感じてしまうくらいバスの中は楽しかった。

先ほどのドイツ人、アレックス(大学生、物理学専攻)と、もう一人バスの中で知り合った35歳のアメリカ人、マックスとの会話が面白すぎた。

まずは日本の原発について。
ここは、もうアレックス君の独壇場。
ひたすら日本に原発を作るということがいかに狂気じみたことなのかを説明?説教?され、「はい、ごもっともです・・・」としか言えず。

次は南米に来る前にイスラエル、パレスチナにいたマックスの現地での滞在経験談。
しかしここでもアレックス君登場。
アメリカの対イスラエル政策への辛辣な批判が炸裂。
マックスも「はい、ごもっともです・・・」としか言えず。(笑)

その後もアメリカとドイツの次期大統領、首相候補について、ドイツで凄い勢いを見せている「海賊党」などについて話す。大変有意義。

そんな間も、窓の外に見える雄大なアンデス山脈の景色をパシャパシャ。
ちなみに、マックスはブエノスアイレスにてナイフで脅されカメラを取られ、アレックスはウルグアイで銃を突きつけられて、カメラとスマートフォンを取られたので、二人ともカメラなし。笑
「かわりに撮っといてー」
と言われながら、またパシャパシャ。

そうこうしているうちに、アルゼンチンーチリ国境標高3500mの「Los Libertadores」(解放者たち)に到着。
ここで有名なチリのやたらと厳格な国境検問、荷物検査を受ける。
薄暗く、めちゃくちゃ寒い建物に入り、X線で荷物検査、その後各自荷物を持って一列に並んで待機。
警察犬がすべての荷物を嗅ぎ回り、一人一人荷物の中身をチェックされる。
しかも結構威圧的。
ドイツ人のアレックス君が横で「これ、なんかこれから強制収容所に送られるみたいじゃない?」と言ったほど。

さよなら、アルゼンチン。
お久しぶり、チリ。

ここからはただアンデスをクネクネと下る。
下りきってからはブドウ畑の間を一時間くらい走り、スモッグで霞むゴールのサンティアゴに到着。

メンドーサの公園。並木が紅葉して美し。

メンドーサと奥に見えるはアンデス。

バスの車窓より。

教科書的な河岸段丘。


これがアコンカグアだと思われる。

3日間道が閉ざされていたため、トラックの列が・・・


国境からはひたすら下り道。

チリに入るとブドウ畑。美し。



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