2012年5月30日水曜日

ウルグアイ コロニア・デル・サクラメント編



コロニア・デル・サクラメントはラプラタ川を挟んで、ブエノスアイレスのちょうど対岸に位置するウルグアイの小さな街である。
川を挟んでとは言ったが、ラプラタ川の河口部分は扇状に広がっているため両都市間は200km以上あり、高速船で一時間、もしくはフェリーで三時間ほどかかる。

このコロニア・デル・サクラメント、本当に小さな街で二時間もあればすべて見て回れてしまう上に特に見るものがあるわけではない。
ガイドブックを読んでも「1680年にポルトガルによって建設された貿易港。今でもコロニアルな建物が多数残っている」と書いてあるくらい。

しかしここはこの旅で絶対に見ておきたい都市のひとつだった。
というのも、スペインでラテンアメリカ史の授業を必死に受けていた際にこの街が“1680年にポルトガルによって建設された貿易港。今でもコロニアルな建物が多数残っている”というような説明では語れない歴史的重要性を持っていたということを知ったからだ。

コロニア・デル・サクラメントは1680年に、この地域のスペイン植民地の拠点であったブエノスアイレスに対抗する形でポルトガルによって建設された。
そしてここでポルトガル人が従事していたのは、貿易は貿易でも密貿易である。
スペイン人たちが南米植民地へのヨーロッパ製品の輸出を減らし、それらの製品の値段を吊り上げようとするのに乗じて、コロニアに拠点を築いたポルトガル人たちはそこからヨーロッパ製品をブエノスアイレスへ運び、代わりにペルーから運ばれてきた大量の銀を受け取るという密貿易をしていたのだ。
さらにこれら流出した大量の銀はポルトガルだけでなく、イギリスやオランダなどの手に渡ることによってヨーロッパでのスペイン王室の地位を危うくもさせた。
スペインはことある事にこのコロニアを占領するけど、すぐにイギリスの介入によりポルトガルに返還させられてしまう。
ペルーからブエノスアイレスへの銀の流出を禁じたり、コロニアの勢力拡大を抑制するためにモンテビデオ(現ウルグアイ首都)に大量の植民をしたりしてみたけど、銀の流出は止まらず、やっとアメリカ独立戦争に乗じてスペインが占領しイギリスにスペインの領有権を認めさせた。

という感じ。
こんなことを知っていると二時間に回れる小さな街でもとても有意義に回れてしまう。

僕はブエノスアイレスから高速船でコロニアに渡り、一日を過ごしてまた夕方には帰るというコース。
んーあまり書くことはないかな。写真でも見てください。














2012年5月29日火曜日

アルゼンチン ブエノスアイレス編


6239か月ほど滞在したマドリードに別れを告げて、アルゼンチンはブエノスアイレスへ。
とは言っても直行便ではなくフランクフルト経由。
フランクフルトまでのフライトは約2時間、乗り換え待ち約3時間で、ようやくブエノスアイレス行の飛行機に乗り込むとびっくり。
どうやら、ユダヤ系アルゼンチン人の音楽隊+その家族の大所帯と乗り合わせたようである。
みなそれぞれ大きな楽器を持ち、頭にはお皿みたいな帽子を乗っけて、アルゼンチンアクセントのスペイン語でべらべら。とにかくにぎやか。

アルゼンチンの方々のにぎやかなせいもあって、アフリカ大陸の左肩をかすめるところまでは起きていたが、いつの間にか眠りに落ち、起きたらすでにブラジルの海岸線を南下していた。
そういえば大西洋を横断するのは初めての経験だ。
長時間のフライトと言えば僕にとっては日本―アメリカ、つまり常に太平洋上空、もしくは日本―ヨーロッパ、つまり常にユーラシア大陸上空(まぁ8割ロシア)だった。
なんか新鮮。

ブエノスアイレス到着予定は24日朝7時。
しかし到着予定時間になっても、地図上ではブエノスアイレス上空に居るはずなのに着陸しようとしない。
と思っていたら機内アナウンス。

「低い雲と濃霧による視界不良のため上空待機命令が出ていますので、着陸許可が出るまでブエノスアイレス上空で旋回します」

ドイツ語と英語でアナウンスしている間は静かだったまわりのアルゼンチン人たち、スペイン語で同内容のアナウンスが流れた途端に大ブーイングとため息。笑
小一時間ぐらい旋回を繰り返したのち無事着陸。
確かに凄い霧、そして寒い。

空港から市内へはコレクティーボと呼ばれる路線バスで行くこともできるが、所要時間は約2時間。
考えた末14時間フライトの後の疲れに負けて、空港シャトルバスで優雅に市内へ向かう事に。
市内に入るとすぐにホステルへ向かい、荷物を置く。
一休みすると、すぐにホステルのすぐ近くに住んでいるという大学の友人でブエノスアイレスに一年間留学に来ているYNさんと待ち合わせ、市内を案内してもらう。

このYNさん、留学も終盤を迎えているせいか、アルゼンチンアクセントを使いこなし、市内至る所を走るコレクティーボを全て把握し、すっかり「ポルテーニョ」(ブエノスアイレス人のことをこう呼ぶらしい)になっていた。
おかげで大変スムーズにいろいろな場所を見ることができました。ありがとうございました。

ブエノスアイレスの街並みはさすが「南米のパリ」なんて言われるだけあって、極めてヨーロッパ的。
逆説的ではあるけれど、スペインよりよほど“ヨーロッパ的”である。

これはアルゼンチン人の顔にも言える。
アルゼンチン人は金髪で青い目をした人が比較的多い。
これはイタリアやドイツからの移民、そしてスペインの植民者たちの多くが北部、特にガリシアの人々であったことに寄るのだろう。
ちなみに今でもアルゼンチンではスペイン人のことを「gallego」(スペイン語でガリシア人の意)と呼ぶのもそんな歴史にちなむらしい。

そんら「ヨーロッパらしい」ブエノスアイレスだが、 小さな路地とそれを囲む色とりどりの家が眩しいボカ地区、近代的な高層ビルがそびえるプエルト・マデーラ地区、貧民街もあり露店などが並ぶ少しケオティックなレティーロ地区などなど地区によって様々な特色がある。
貧民街のカオスからすぐ近くに見えるピカピカに磨かれたガラス張りの高層ビルとか見ると何だか凄くいやーな気分になるけれども、様々な要素が混在しているこの街は、歩いてみるととても面白い。

もう一つ、物価について。
南米=物価安い
というのは、少なくともアルゼンチン、チリでは通用しない。
スペインや日本と比べて安い物はあるけれども、基本的に同じくらい。
更にインフレが進んでいるためこの数か月で物価がどんどん上がって行っているとか。
その証拠にどんなレストランに入っても、メニューの値段の部分は修正液で消されて新しく書き直されている。
ホステルであったバックパッカーたちも口を揃えて「アルゼンチン、チリに長居すると破産するから早くボリビアあたりに戻りたい」と。

物価が高い、そしてYNさんのおかげで効率的にいろんなところを見せてもらったこともあって、早々にブエノスアイレスは脱出。

さて、恒例のお写真のお時間です。

世界一広い通り、7月9日通り。

ボカ地区





マテ茶を持つダビデ


みんなこの隅でタチションするから、こんな絵まで書いちゃったのかな。


世界で二番目に美しい図書館。なぜ二番目?笑

国会議事堂

5月25日は革命記念日。みなアルゼンチンの旗を掲げてます、

大統領府。夜にはピンクにライトアップされて超悪趣味。


レティーロ地区。線路沿いに形成されている貧民街。

ブエノスアイレス近郊の街、ティグレ


2012年5月24日木曜日

スペインよ、さらば


なんと、スペインをもう去ってしまった。
ただひたすら試験勉強に明け暮れた一ヵ月を終えたらいつの間にか出発日、という具合。
このブログに関しては、試験期間中完全放置。
スペイン北部旅行記もア・コルーニャにて終了。
アストゥリアスについて書く時間はなかった、失礼。

今はもうマドリードを出て、フランクフルトでアルゼンチンはブエノスアイレス行の飛行機待ち。
スペイン留学を終えるための、まとめ記事でも書こうかと思っていたけど、案の定スペイン出発前はドタバタしてそんな暇なし。これは日本に帰ってから。

とりあえずこの先一ヵ月ちょい、このブログは「南米旅行記」となります。
今の所の予定では、、
アルゼンチン→ウルグアイ→チリ→ボリビア→ペルー→パナマ→メキシコ

まだお付き合いしてくれる人がいるのなら、読んでください。

ありがとう。
スペインよ、さらば