2012年2月17日金曜日

課題文献探し

先週、スペインに来て間違いなく一番重いと思われる課題を出された。
秋学期の授業でもなかなか辛い課題を出されたことはあったが、今回のものは比べものにならない。

授業が始まるや否や、教授が学生一人一人を教室の前まで呼び出し、各々に課題内容と必読文献がズラりと並んだ紙を渡していく。
テーマは一人一人異なり、もちろん読むべき文献も違う。
よくぞ何十人もの学生に対して別々の課題を用意したものだ、と感心してしまう。
熱心なのはいいけど、文献を全部指定するほどの親切はちょっとやりすぎじゃない・・・?とも思うけど。

そしてもちろん僕が貰った紙にも親切にビッシリと9つの文献がならんでいた。
その教授、僕が文献の数に唖然としているのに気付いたのか・・・
「君にはちょっと辛いかもね、ごめんね。」
謝るんだったら、もうちょっと減らしてよ・・・

「提出期限はいつですか?」
-なるべく早くだしてね。

「えぇーこの文献で大学の図書館で全部見つかりますかね?」
-いやぁたぶんないでしょ。なかったらコンプルテンセ大学(マドリードのもう一つの大学)か国立図書館までいってみな。

留学生だからといって変に気を使われて“特別扱い”されるのは嫌だけど、ちょっと“平等”すぎるだろ。笑
スペイン人学生たちもぶーぶーずっと文句言っているのに。

結局マドリード自治大学の図書館で見つけられた本は9冊中2冊。

どうせ図書館で借りても、貸出期間内に読めるわけもない上に書き込んだりすることもできない。
なんなら何冊かは買ってしまおうかと思い、僕が知りうる限りマドリード市内では一番大きな本屋に行き、店員に在庫を調べて貰うと・・・

-これ全部古い本だからもう絶版になっちゃってるね。在庫はないから古本屋で探すか図書館に行 きな!!

やっぱりか・・・。

電子書籍ってすごく抵抗ある上に、あんな電子画面で“本”が読めるわけがないと思うんだけど、絶版にならないという意味では、こういう時には確実に便利だよね。

印刷しないんだから“在庫”はなくなるし、“在庫”がなくなれば、誰も読まないような本でも絶版にする必要なんてないもんね。

つまり、これからは今世の中にある絶版にしていいような大量のくだらない本たちが永遠に生き残る代わりに、今まで少数の人にしか読まれていないというだけの理由で絶版にされてきたいい本も生き残る。
利点はあるんだから、うまく使えば便利になるんだろうな。

まっそんなことは言っても、もちろん今必要な文献たちは電子書籍化なんてされているはずもなく。
来週あたりにコンプルテンセ大学図書館と国立図書館を回らなきゃならない。

とほほ。



2012年2月14日火曜日

日、英、西、蘭


一週間ほど前、あまり連絡などしてこないベルギーのホストシスターから突然フェイスブックを通して一通のメッセージが来た。

“友達を訪ねてスペインに行くことになったから4日ほどKeiのマドリードの寮に泊めてくれない?3日後の1145分にバラハス空港に着くから迎えに来てネ。よろしく。”

ベルギーにいた時は同い年で、かつ通ってる高校も同じだったため、随分お世話にはなったけど、かなり勝手な人であった。
やっぱり5年経っても相変わらず勝手である。

この人のいいところは、常に付きっきりで観光案内などしなくても、僕が授業に出ている間に一人勝手にマドリード市内をほっつき回っていてくれることである。
そのため、完全放置。

ただ問題は言語。

大学でスペイン語の講義を聞き、友達とはスペイン語を話す。
しかし部屋に帰ると途端にオランダ語になる。

この2言語だけでもかなり意識的にスイッチを入れ替える作業が必要で、何度もスペイン人の友達に対してオランダ語で話しかけては顔を顰められ、ホストシスターに対してもスペイン語で話し、その度に笑われた。

ましてこれに更に2言語が加わるともう頭がおかしそうになる。

一度そのホストシスターを連れて、スペイン人の友人たちと日本人の留学生たちと飲みに行ったが、もう大変。
日本人とは日本語、スペイン人とはスペイン語、ホストシスターとはオランダ語、日本人、もしくはスペイン人を含めてホストシスターと話す時は英語になる。
こうなるともうめちゃくちゃ。

3言語以上を自由に操れる人はボケの進行が極度に遅くなると言われているらしいけど、これは間違いないんじゃないかな。
ここまで頭を意識的に使って会話したのは初めてかもしれない。

残念ながら僕はこれら4つの言語を使い分けて自由自在に操れるレベルにはほど遠い。

日本語、英語の切り替えはもう随分となれてるからそれなりにスムーズにいくけど、更にスペイン語、オランダ語というちゃんと習得できてない言語が加わった途端に頭がめちゃくちゃになる。
ましてスペイン語はラテン系の言語、オランダ語はゲルマン系の言語であるため単語から文法構造までまったく異なる。

10言語くらいを自由に話せる人の頭はどうなっているんだろうか。

 なんにせよ嵐のようにやってきたホストシスターも去って行ったので、やっとちゃんとスペイン語にのめり込んで勉強できる環境がまた戻ってきた。
めでたし。

ちなみにそんなホストシスター、帰り際にお土産として、台所用のスポンジを大量にくれた。
なぜスポンジなの?と理由を聞くと・・・

Keiの台所のスポンジ古くて汚くて使う気にもならなかったら、マドリードの雑貨屋で買ってあげたのよ。”と。

余計なお世話である。

さぁ課題だ、課題。

2012年2月8日水曜日

試験結果

あら、こんな早くに試験の結果がでるのか。
2週間で試験結果が出るのさえ、こちらでは遅いらしい。

一度“落とした”科目はまた6月に試験を受けなければなく、そしてそれでも駄目だった場合は次の年に再履修となる。
そのため、みんな試験が終わってからは毎日パソコンで大学のホームページをチェックして試験結果が出るのを今か今かと待っていた。

僕はというと、みんなほど切羽詰ってるわけではないけどやっぱり毎週あれだけ重い課題を熟して、しかもあれだけ勉強をして試験も乗り切った、と思うとやっぱり単位はほしいし、成績は気になる。

とりあえず全て(とはいってもたったの3科目だけれど)単位は取れたようである。
3科目の成績の中身を見てみると・・・

経営学関係の授業:
全体評価、「可」。出席と課題はそれなりの点数がついてはいるものの、試験がボロボロ。というか、「不可」との境目。ガビーン。しゃあなし。

政治経済関係の授業:
全体評価、「良」。試験は授業履修者の中でも2番目に高いのだけれど、出席率はあまり良くなく、一つ大きな課題の提出遅れにより全体評価が下がっている。あれ?僕この授業そんな欠席した覚えがないんだけど・・・。まぁ、よし。

文化人類学関係の授業:
全体評価、「優」。試験の点数はなかなか高いし、毎週欠かさずあった課題も満点。(少しこれ甘くつけたろ?) 文句なし。

全体として自分でいうのもなんだけど、なかなか頑張った方だと思う。
でも、こんなことで満足してちゃあいけないんだよね。

春学期も頑張ってこ。

どうしようもない、短編試験結果報告ブログでした。

2012年2月4日土曜日

Sierra Nevada スキー旅行


130日から22日にかけて4日間のスキー旅行へ出かけた。
平日だからもちろん大学の授業はあるけれども、各授業一回ずつぐらいなら休んでも問題ないだろう。ということにしておく。

さて、スペインでスキーと言うと不思議に思う人がいるかもしれない。
あんな砂漠みたいな国のどこに雪山があるの?
しかし実はスペインには結構いいスキー場がたくさんある。
とはいってもやはり、ピレネー山脈に集中している。
ピレネー山脈はスペインとフランスを完全に隔てるようにして聳えている険しい山脈だ。ここにはヨーローッパ各国から観光客を集めるようなスキーリゾートがたくさんある。
しかし今回スキーに行ったのはこのピレネー山脈ではない。
マドリードから更に南下してアンダルシア地方のグラナダの東に位置するシエラネバダ山脈(Sierra Nevada)である。
いや、シエラネバダを直訳すると「雪を被った山脈」であることを考えると、「正しく」はネバダ山脈かもしれない。

グラナダと言えば、アルハンブラ宮殿が有名である。
8世紀初めから15世紀終わりのキリスト教勢力によるレコンキスタ(国土回復運動)完了まで700年以上イスラム王朝があった場所である。
アルハンブラ宮殿はこのイスラム王朝時代、ナスル朝の宮殿である。

話がそれてしまったが、シエラネバダ山脈はこのアンダルシアの砂漠のような大地に突如として現れる異様なくらい高い山脈であり、3000m級の山々が連なっている。
2年前の夏にグラナダを旅行した時にもグラナダ市内では40℃を超える気温だったのにも関わらず、シエラネバダ山脈を見上げると夏の厳しい日差しにも負けずに山肌に残雪がこびりついていた。
名前の通り一年を通してどこかに雪がある
そしてここにヨーロッパで最も南に位置するスキーリゾートがある。

今回の旅の友は例の如く稲垣雅人。
彼とは大学に入ってからは毎年スキーに行っているが、スペインに来てからもずっとスキーに行きたいと言い張っていた。
スペインにおいては大学こそ違うものの、彼の大学もマドリード郊外の街に位置しているため会おうと思えばいつでも会えてしまう。

マドリードからグラナダまでの交通の便は非常に悪い。
バスか列車が一般的であるが、所要時間は5時間ほどとほぼ同じで料金はバスの方がだいぶ安いため、今回の旅もバス旅。

道中の車窓から見えるものといえば基本的に砂漠のような大地と岩山。
アンダルシア地方に入るとやっとオリーブ畑が広がり、景色が茶色から、銀色と緑色の間のようなオリーブの葉の色になる。

グラナダ市内からシエラネバダまでは更にバスを乗り換えて45分。
グラナダの標高が750mほどで、スキー場の麓の宿街が2100mであるから、たったの四十五分の間に1500m近くも登ったことになる。
しかしバスが岩山のクネクネ道を登っていけば行くほど不安が増大していく。

雪がない、、、

シエラネバダ山脈、さすがに3000mを超える山だけに気温はかなり低い。宿がある中腹でも最低気温は-10℃以下、最高気温も0℃を超えるか越えないかである。
気温的には降れば雪。ただ天気が良過ぎるため雨どころか、雲一つないのだ。

宿についたのは夕方の六時。一日がかりの移動に疲れてその日は早めに寝た。


次の日は朝早くにスキーのレンタルへ行き、早速ゴンドラとリフトを乗り継いで3400mある山頂へ。
さすがに富士山には届かないけど、日本第二位の高峰北岳よりも高い。
ゲレンデの雪は先週降ったものと人工雪。
かなり圧雪されている上に、山頂付近では風が強く表面の雪が飛ばされているためにガリガリのアイスバーンが多い。
しかしそんな欠点を補って余るのが山頂付近からの景色だった。
眼下には茶色いグラナダの街が見えその奥にはこれまた茶色い砂漠のような土地がただひたすら広がっている。

ここで思い出したのがアメリカはカリフォルニアのシエラネバダ。
もちろんスペインのシエラネバダ山脈が本家ではあるのだけれど、アメリカにもシエラネバダ山脈がある。
カリフォルニアがスペイン領であった際の名残である。いや、名残というか今でもカリフォルニアの地名の大半がスペイン語なのだけれど。
アメリカにあるシエラネバダ山脈はちょうどカリフォルニア州とネバダ州の境に位置していて、小さい時に僕が住んでいたサクラメントから車で約二時間でいけたため、毎年冬になると何回もそこへスキーに連れて行ってもらっていたのだ。
スペインのシエラネバダからアンダルシアの大地を眺めた時、アメリカのシエラネバダから見たネバダ州側の砂漠の風景を思い出した。

もしかしたらあの地を征服したスペイン人はグラナダの人であり、同じように山の頂上から眼下に広がる砂漠を見てシエラネバダと命名したのかもしれない。

・・・と少し夢を抱いたら、そんなことはなかった。
調べてみるとアメリカのシエラネバダは16世紀にスペインに雇われたポルトガル人探検家が命名したらしい。あら、残念。

さて、しかしスペインのシエラネバダ山頂から見えるのはグラナダ市街とカラカラな砂漠だけではない。
山の反対側を見下ろせば、青い地中海が広がり、その対岸にはアフリカ大陸はモロッコの山々までもが見えるのである。

これはなかなかの圧巻。

2日目も同じような晴天に恵まれ、気温は低いものの強い日差しの下でスキーを楽しむ。

3日目は少し違った。
朝起きて宿の窓から外を見てみると、完全に真っ白。雪が降りしきっていた。
昨晩から降り続けているのか、一晩にしてはかなり積もっている。
テンションも上がり、早速ゴンドラでゲレンデまで上がってみると確かに昨日までのガリガリの雪ではなくふかふかのパウダースノーだ。
雪の状態はかなりいい。

しかし問題は視界。
前日までの雲一つない青空とは打って変わって、降りしきる雪と、ガスで本当に何も見えなくなってしまった。
周りが真っ白になると、自分のスピードも斜面の状態も分からなければ、バランス感覚さえ取れなくなってしまう。 
午後になると少し雲の切れ目から太陽が見えることもあったが、すぐに隠れてしまうし、風も尋常じゃなく強い。

最終日としては少し残念ではあったけど、仕方がないので3時に切上げ帰りのバスに乗り込みマドリードへ帰ったのでした。


ちなみにプラハではモルダウ川沿いを歩きながらiPadでスメタナ作曲「わが祖国」を流して恥ずかしい思いをさせてくれた稲垣くん、今回は静かなゲレンデでリフトに乗りながらテープレコーダーのように大声でKARAの「ジェットコースターラブ」とMichel Telóの「Ai Se Eu Te Pego」を歌い続け、恥ずかしい思いをさせてくれた。
ありがとう。

あとは写真でお楽しみを。












稲垣くんの大コケ動画。


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