2011年12月11日日曜日

プラハ-ベルリン旅行 ベルリン編


プラハからベルリンへ向かう電車は遅延した。
そもそもこの電車、ベルリンとブダペストを結んでいるので、途中少しくらい遅延してもなんらおかしくはない。でもちょっと遅れ過ぎ。
プラハ駅に到着した時には「30分遅延」の表示。しかし、時がたつにつれて徐々に「35分」、「40分」、「45分」と伸びていき、最終的に到着したのは65分遅れ。
5時間の電車旅は例の如く、授業で読まなければならない本を読みながら過ごしていたらあっと言う間だったが、結局ベルリン中央駅に着いた時には95分遅れ。
本来ならベルリンについてから安ホステルでも探そうかと思っていたが、もう夜も遅かったので前々日に泊まった、駅近のホステルに泊まることにした。

ベルリンでの観光は1日しかない。
スペインでベルリンの薄ガイドブックは買ってきたから、何となくベルリンをどのように回ればいいのかは見当がつく。
朝早く、とりあえず中央駅から歩いて国会議事堂へ向かおうと思いホテルを出ると、とにかく寒い。
昨晩降ったと思われる雪で地面も少し白い。
気温だけ見ればプラハの方が低かったかもしれないが、ベルリンは風が強く、体感気温はプラハ以下。もちろん上下ヒートテックに、マフラー、手袋の完全防備。

ドイツの国会議事堂はちょうど中央駅とあの有名なブランデンブルク門の間に位置している。前日に予約していれば、中も見学できたらしいがそんなことは露知らず・・・外から眺めるのみ。しかし、なかなかいい建物。
元となっているのは19世紀の帝国議会の建物なのだが、1933年に不審火で炎上。
次いで第二次世界大戦中は徹底的に米英軍によって爆撃されたが、東西ドイツ統一後の1999に完全改修され、19世紀の重厚な石造建築と屋根にあるガラス張りのドームが組み合わさった不思議な建物になっている。

国会議事堂からはベルリンの象徴とも言えるブランデンブルク門に向かい、ウンター・デン・リンデンを歩いて、あのアインシュタインも学んだというフンボルト大学へ。
さらにベルリンにある多くの美術館が集まる地区を通り抜け、アレクサンダー広場へ。
プラハと同じく、大きな広場では必ずクリスマスマーケットが開かれている。アレクサンダー広場も例外ではない。
ただ売っているものはだいたい同じ。
クリスマスツリーの飾り、ホットワイン、ソーセージ、そしてクリスマスのお菓子。
プラハでは外を歩いてると本当に寒いので1時間毎にこのようなマーケットでホットワインを飲んでいた。
確かにこれを飲むと体の中から温まるのだが、欠点は4杯目くらいになると少しずつ酔いが回ってくるという事。
さらにプラハでのホットワインは小さな紙コップに入れてくれるのでよかったが、ベルリンはなぜか必ずと言っていいほどジョッキで出てくる。ビールと間違えてるのか。
そして僕がそのジョッキのホットワインをチビチビと時間をかけて飲んでいる間に、横にいたドイツ人の“でっかい”オバチャン3人組は一人2~3杯飲んでいた。
ここでもやっぱり飲み方がビール。
1日に5杯も6杯もジョッキでホットワインは飲めないので、ベルリンではホットワインとコーヒーを交互に飲むことにした。

基本的に旅をするときは交通機関には頼らずに歩くのが好き。特に誰にも気を使う必要がない一人旅の時はとりあえず、ほとんど歩く。
そういう意味でプラハはどこを歩いても楽しめるいい街だった。
地図を持って見どころを探しながら歩くということをしないで、ただ街を歩いているだけで楽しめるという街はそう多くはない。
一番最初に「地図なんていらない!」と思えた街はパリだった。ベタだけど。
基本的に街のどこを歩いていても、どこの横道に入っても美しく整った建物が整然と並んでいるし、エッフェル塔や凱旋門の上から街を見下ろしてみると同じ高さ、同じ色をした建物がずっと続いている。
その時には、街全体を美しくするにはこういう統一感によるしかないと思っていたけど、プラハはそうではなかった。
プラハでは建物の古さ、様式もバラバラ。
14世紀の黒ずんだ建物もあれば、アールヌーヴォーの摩訶不思議な建物まで混在している。これは一見バラバラに見えるけれど、長い歴史をかけて少しずつ街の中に“新しい”建物を建ててきたことの結果であって、ある時期に突然いろいろと街をいじったわけではない。そのため、建物一つ一つが“浮く”ことなく街全体として整っているような印象を与える。
あれ、ベルリンについて書いてたのにプラハになっちゃった。

言いたかったことは、残念ながらベルリンはただ街を歩いていて楽しい街ではなかったということ。
街の中に美しい古い教会はあるし、かっこいいモダン建築もあるし、綺麗に整備された公園もあるけれど、街全体としての一体感はなくてバラバラな印象。
間違いなく、第二次世界大戦中の爆撃で街の大部分を破壊されてしまったことが大きいのだけれど、これって少し日本の都市に似てる。
ある中心から同心円状に都市が形成されたわけではなく、街のあちこちがぽつぽつと発展し、統一感があまりない。そして、爆撃によって街が破壊されてしまったことで、街の歴史が断絶し、景観に「空白感」が感じされる。
加えてベルリンに関しては戦後も40年以上分断されてしまったため、更に街の一体感を作り上げることは困難だったのだろう。
ふーむ。
でも一日中ひたすら歩き回り、街の大部分は見れたし、楽しめた。

うーん。
ベルリンの街の統一感を語るより、このブログの記事の統一感について真剣に考えた方がいいかもしれない。まず一つ一つの記事が旅行だったり、新聞記事のウケウリだったり、めちゃくちゃ。これはまだいいけど、記事内での話題の飛び方も半端じゃない。
10分間の移動時間や、空港で飛行機を待ってるときにちょこちょこっと少しずつ書いていて、前に書いたことを忘れてしまうんだな。
まっ勘弁してください。








今にも飛べそうな装置を体の前後に装備して、ソーセージを売る人々。
ちゃんと傘を挿すところまであるし、車いす用もあります。

確かに寒かったけど、アジアンフード「寒い」はないしょ。

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