2011年12月8日木曜日

プラハ-ベルリン旅行 プラハ編


12月の第一週は石飛の休みなので、連休だ。
連休明けに課題がいくつかあるため、旅行に出かけるのは少し気が引けると思い、今回は大人しくマドリードに居ようかと思っていたけども、そんなことができるわけもなく。
また急遽、ベルリンープラハの旅に出かけることにした。

5年前ベルギーに居た時にはベルギー以西のヨーロッパ諸国にはほとんど連れて行ってもらったか、自分で旅行した。
ドイツも西側の都市は少し回ったけど、ベルリンまでは行けず。
そのため、ベルリン、ウィーン、プラハ、ブダペスト・・・等々のベルギー以東の都市に行きたかった。
本当は東欧の諸都市を一度の旅行でいろいろとまわりたかったけど、今回はそこまでの時間はない。
いつも通り安い飛行機を探していたら、ベルリン往復の航空券が見つかったのでとりあえずベルリンまで行くことにした。
そしてベルリンから気軽に足を延ばせる都市といったらプラハしかないので、プラハまで行ってみる。

マドリードを夕方出て、フランクフルト経由でベルリンに着くともう夜が更けていて、とても寒い。すぐに路線バスでベルリン中央駅まで出て、駅周辺にあった安ビジネスホテルに泊まる。
翌朝5時半起床。外はまだ真っ暗、そして半端じゃない寒さ。
上下ユニクロのヒートテック、マフラーに手袋をして完全防寒で中央駅に向かうと、6時40分にプラハ行きの電車があった。
早速近くの売店でサンドイッチと飲み物を買って、列車に乗り込む。
プラハまでは直通で4時間半ほどの長旅。
ベルリンの街を出て少しするともう外は一面牧草地と畑が続くような景色に変わる。
地平線から太陽が昇ってくるのを見ながら買ってあったサンドイッチを食べ、すぐに眠りに落ちた。
一時間半ほど仮眠をとり、その後は外の景色を眺めつつ大学の課題の本を読んでいるとあっと言う間にプラハに着いてしまった。

今回プラハに滞在できるのは、その日の11時からと次の日の16時までなので、実質街を見て回れるのは12時間ぐらい。時間は無駄に出来ないので、早速プラハの街を散策。
まず駅から旧市街の方向へと向かって歩くと新市街の中心の広場であるヴァーツラフ広場にでる。ここはプラハ随一の繁華街らしく、立派なホテル、デパート、高級ブティックなどが立ち並んでいて、地元の人たち、観光客が入り混じってかなりの賑わいだ。
そしてこの広場の最南端にはこの広場の名前となっている聖ヴァーツラフの騎馬像が建っている。
この広場、1968年の革命運動“プラハの春”の際にワルシャワ条約機構軍が戦車で乗り入れたあの場所であり、翌年それに抗議するために一人の青年が焼身自殺を図った場所でもある。
そして更に20年後の89年に果たされたビロード革命もここに集まった100万人を超える市民たちによってなされた。
今でも聖ヴァーツラフの騎馬像前には記念のレリーフが埋め込まれていて、献花がなされていた。

ヴァーツラフ広場を北上し、旧市街に入って少し進むと旧市街の中心となる旧市街広場にたどり着く。
今まで様々なヨーロッパの都市の中央広場を見て来たけど、こんなに不思議かつ面白い広場は見たことがない。旧市庁舎はある部分は黒い石造りで重厚な雰囲気があると思えば、他の部分はピンク色で普通の家のような形をしている。近くには、白壁のバロック様式の聖ミクラーシュ教会があり、その反対側にはティーン教会のゴシック様式特有の高い尖塔が二本見える。
そして中心にはチェコの誇りヤン・フスの石造。
最初は「ヤン・フス?誰だ、それ。」と思ったけど・・・良く考えてみると・・・
あぁ!
そうだ、3年前の受験期に世界史で勉強した。
宗教革命、コンスタンツ公会議、フス派弾圧、火あぶりの刑、一つにつながった。
世界史を頭に詰め込んでいいことはある。特にヨーロッパを旅行するときは世界史が何となく頭に入っているのと入っていないのとでは、楽しめる度合が数段違う。
後は一度聖書を読んでしっかりとキリスト教のお勉強をすると、またわかることが100倍くらい増えると思うのだけれど・・・まだ聖書には手が出ないねぇ。
12月ということもあり、広場にはクリスマスマーケットが出ていて様々な料理や小物を売っている。この時期の北ヨーロッパの雰囲気は本当に好きだ。
人は多いし、みんな浮かれているけれど、なんとなくしんみりともしている。なんといえばいいのかねぇ。そういえばスペイン語にはこのクリスマス特有の雰囲気を表す言葉があると友人から前聞いたけど・・・なんだったっけ・・・

午後一時にある友人と待ち合わせ。
稲垣雅人。大学の友人で、彼もスペインに留学しているが、たまたま彼も友人とチェコ、ポーランドを旅行しているというので会うことにした。
彼はもうプラハも三日目のベテラン。僕はまだ地図を手放せない素人だったので、旧市街からカレル橋がある川沿いまで案内していただいた。
そして、モルダウ川の岸辺でスメタナの『我が祖国』を聞くという、少し恥ずかしい彼の夢に付き合う事に。
彼、わざわざこの夢を果たすために、昨晩インターネットで『我が祖国』をダウンロードしてiPadにいれてきていた。
クラシック音楽に不案内な僕でもこの曲ぐらいは聞いたことがある。
しかし少し恥ずかしい。日本で隅田川沿いを歩きながらiPadで『隅田川』を流して、しんみりして「俺の長年の夢叶ったわ」って言ってる“外国人”が居たら絶対爆笑する。
地元民らしい人とすれ違う際は、笑われていないか気を使う。
なんにせよ彼の夢はかなったらしい。よかった、よかった。


プラハ二日目は、朝早く。
夕方にはもう電車でベルリンに戻らなければならない上に、昼には母親の友人のチェコ人の方と会食して頂く約束をしたので、午前中しかもう観光の時間はない。
前日はモルダウ川の東岸を歩き回ったので今日は西岸。
西岸にもいくつかの見どころはあるが、何と言っても最大の見どころはプラハ城。
旧市街からカレル橋を渡り、山を登っていくとカレル城の中心にあり、二つの尖塔が特徴で目立つ大聖堂がどんどん近くなってくる。
この大聖堂、外から眺めると黒々としていて尖塔も鋭くかなりの迫力だが、一度中に入るとステンドグラスの美しさにびっくりする。
なかなか歴史を感じさせるし、かっこよさ、美しさを兼ね備えた、いいカテドラルだ。
その他にも旧王宮や、美術館なども近くにいくつもあるが、時間がないのでパス。
カフカが小説を書いていたという小さな青い家も覗く程度で済ませ、また下山。


12時には母親の友人のチェコ人の方が働いてるオフィスへお邪魔。
そこのオフィスへインターンに来ていたベルギー人の方と3人で昼食を食べプラハ滞在は終了。
ちなみに一緒に会食させて頂いたチェコ人の方はチェコ語に加えて、英語とドイツ語もぺらぺら。
ベルギー人の方にいたっては、オランダ語、フランス語、スペイン語、英語、ドイツ語、タイ語、チェコ語を使いこなすセプトリンガル。
英語、オランダ語、スペイン語で会話はできるけども、どの言語で話しても相手のその言語の運用能力を上回ることができない。悲しいのう。
ヨーロッパの“小国”の方たちって本当にどうしてこんなにいろんな言語が話せるのだろう。
もちろん自分たちの言語だけしゃべれるだけでは生きていけないっていう危機感がもともとあるのだろう。


日本も“小国”だけど、島国だからねぇ。


プラハ滞在は無事終了。携帯を失くしただけ。


これってブログって言えるのかな。
完全に日記書くためのメモだよね。
写真だけでも楽しんでね。



































1 件のコメント: