2012年6月26日火曜日

超過酷 リカンカブール登山の巻

あの綺麗な形をした火山はリカンカブールといって、プレ・インカ時代から聖なる山として崇められていて、山頂では生贄の儀式なども行われていました。
ちなみに標高は5960mです。6000m近いので結構難しい山ではありますが、たぶん大丈夫ですよ。

アタカマ砂漠滞在二日目の夕方、トレッキングツアーを取り扱っている店に僕を誘ってきたスイス人とフランス人とともに行くと、こんな説明をされた。
更に説明は続く。

あの火山は現在ではチリとボリビアのちょうど国境に位置しています。
しかしながら、山のチリ側は雪も多くあり断崖が続くのでプロでも少し難しいです。
ですので登るとしたらボリビア側の斜面になるでしょう。
一日目はここサン・ペドロからジープでボリビア側へまわり、少し登ったところにある避難小屋で一泊。
二日目は4時に登頂開始し、12時に山頂、16時に下山となります。
あと大事なことですが、このツアーの最低人数は3人ですので、一人でも行かないことになるとツアーは中止になってしまいます。

なるほどそういうことか、お前たち。
詳しく分けを聞くと、まずリカンカブールに登りたいと言い始めたのは、フランス人。
彼がスイス人を誘い、二人して人数を増やすために僕を誘ってきたのだ。

ここで少しでも躊躇していればよかったものの、なぜか快諾してしまい話はとんとんと進んでいった。

それでは明日の昼にこのツアー会社の前からジープで出発しますので。また明日!


予定通り翌日の昼にツアー会社からジープは僕ら三人を乗せリカンカブールのボリビア側へと向かい、夕方には標高4000mの避難小屋に着いた。
サン・ペドロの街が2300mだから、この移動で約2000m上がったことになる。
更にここから明日2000m登るのか・・・ただでさえ一日で登るにしては長い距離であるのに、元の標高が4000mである。大丈夫か・・・
ここまで来るともう車から荷物を降ろすだけで息が切れる。

その日はみなでコカ茶をすすり、7時には床についた。


翌日、早朝3時にチリ人ガイドのホルヘ起こされる。
「みんなー、寒いぞ!! 外は-20℃だ!! ちゃんと着込んでからベッドをでな!!

ヒートテックタイツ、スウェットパンツ、スキーズボン、靴下3着、ヒートテック長袖、Tシャツ、フリース、パーカー、ダウンジャケット、ニット帽、手袋2枚という重装備で外に出てみると、小屋の外にある温度計は本当に-20℃を指していた。
みんなでまたコカ茶をすすり、チョコレートなどをつまむ。
そして朝3時半、ボリビアからトレッキングに申し込みをした人も合流して計6人。
フランス人3人、スイス人1人、ブラジル人1人、僕。
そしてガイドも3人。チリ人1人にボリビア人2人だ。

みなでもう一度装備などを点検して、真っ暗の中ヘッドライトを付けていざ出発。

と思ったら一人おかしい人発見。
ボリビア人ガイドの一人の恰好がどう考えてもおかしい。
普通の運動靴に上下ペラペラの薄いウィンドブレーカー。
帽子も手袋もリュックもなし。片手にピッケルを一本持っているだけ。
しかも、顔を見ると明らかにまだ子供の顔をしている。

「ねぇ、君いくつ?」
17歳だよ。」
高校生じゃん・・・
「その恰好で大丈夫なの?今-20℃だよ?」
「うん、大丈夫。リカンカブールは何回も登ってるし。」
「初めて登ったのはいつ?」
13歳の時だよ」
中学1年生じゃん・・・
いや、どう考えてもおかしい。
完全に裏山にちょっくら登ってくる、といった感じ。(まぁ彼らにとっては“裏山”かもしれないけど・・・)
こんな重装備をして、肺が凍るかもしれないと脅されてフェイスマスクまでしているこっちが何だか恥ずかしくも思えてくる。
いや、でもこっちが“普通”なんだよね、うん。
ちゃんとした装備のチリ人ガイド、ホルヘも「いやここら辺に住んでるボリビア人の奴らは普通の人間じゃないから」とあきれ顔。

真っ暗の山道を一列になってゆっくり一歩ずつ進んでいく。
出発から1時間もすると、みんな話す余裕などもなくなり、ガイドから5分毎にかかる「大丈夫かー?」という声に「Siiii……」と力なく答えるのが精一杯になってきた。
ようやく7時半くらいになり、あたりが少し明るくなるにつれてリカンカブールのシルエットが見えるようになってきた。
それにしても下から見上げるとデカい、高い!!

そして明るくなるにつれて見えてきたものがもう一つ。
あたりに名前、国名、年が書かれた白い十字架がいくつも立っていて、しかも登るにつれてその数が増えていく。
スイス、スウェーデン、フランス・・・
これってもしかして・・・と思いホルヘに聞いてみると・・・

「そうだよ、死んだ人。氷で滑ったり、風で飛ばされたり。あとは高山病にかかると判断能力がなくなって転んだときにまったく手をつかないで、そのまま頭を岩に叩きつけちゃう人が結構いるんだ。気を付けてね!
こわっ!!

5500m超えるともう一歩踏み出すのが一苦労。みな弱音を上げ始めた。
僕も少し気持悪くなってきたし、寒さで手足の先の感覚がまったくなくなっていた。
ここでお休み。
協議の結果ペースを維持して登り続けるグループと、ペースを落とすグループの2つに分けることになった。
前者はタフなフランス人とブラジル人。
僕を含めた残りの4人は後者のグループに入ることにした。

そこから更に1時間ほど登ったところでまた休憩。
「みんな、登るだけにエネルギーを使い果たさないでほしい。あとで同じ分だけ降りなきゃいけないことを考えてくれ。このペースだと山頂まで行くのは少し厳しいかもしれない。しかも今日の山頂付近は風も強く、危険が伴う。山頂にはいれてせいぜい3分だろう。もうここまで登ったら君たちの最高標高記録も更新できたろ?ここで景色を眺めながらゆっくりして、あとでまたゆっくり降りるのはどうだい?」
とガイドのホルヘ。

「賛成!!!!!!!!!!!」とみんな。

ここで無理をして死んでも仕方ない。ガイドの賢明な判断だっただろう。
あたりはすっかり明るくなり、気温も-6度とだいぶ暖かくなっていたので、みな岩に腰掛け持ってきたチョコレートなどを食べ始める。
ここまで来ると食べるのもスポーツ。
もぐもぐしてるだけで息が切れる。(笑)
それでも、次第になれてみな談笑を始める。

少しすると、もうブラジル人とガイド一人が下山してきた。このブラジル人ももう少しは頑張ってみたものの、やはり限界だったようだ。
そしてフランス人兄ちゃんと17歳ボリビア人ガイドの二人だけが山頂アタックに向かったという。
9か月南米自転車旅行してるだけあって、さすがにタフだ、あのフランス人。

僕たちは標高5600m付近で腰を下ろし、のんびりチョコレートをかじって引き続き談笑。
横ではチリ人ガイドのホルヘがタバコやらマリファナやらを吸っている。
驚くべきはここまで来ると、タバコを吸っていても少しでも置いておくと火が消えてしまうという事。
やっぱ酸素ないんだな。(笑)

それにしても5600mからの景色はすごい。雄大というか、規模が大きすぎて恐怖を感じるほど。これは言葉でも写真でも伝わらないかもしれないけど。

2時間くらいのんびりしから、やっぱり寒いので、下山して麓でフランス人とガイドの下山を待つことになる。

麓に降りてから数時間、やっとボリビア人少年とフランス人が下山してきた。
双方とも髪の毛も髭も凍りついた状態。
ただ二人の違いは、フランス人の方はもうヘトヘトで足元も覚束ない状態なのに対して、ボリビア人少年はピンピンしてるということ。
やっぱりこの少年おかしい。

みんな一緒にまた避難小屋に帰り、コカ茶タイム。
登頂を果たしたフランス人はベッドから起き上がれずそのままお昼寝。

一時間ほどすると、僕以外のみんなはまたジープに乗りチリはサン・ペドロに戻ることに。
なぜ僕だけここの避難小屋に残るかというと、翌朝ここからウユニ塩湖に抜ける三日間のジープツアーに途中参加するからだ。
これはだいぶ例外的だけど、ツアー会社が取り計らってくれ、明日の朝ここの避難小屋で僕を拾ってくれるということになっている。
ただここは南米・・・本当に拾ってくれるのか不安ではあったが、そのまま疲れに任せて就寝。

これで僕の22年間の人生で最も過酷な一日もおしまい。
ちなみにカメラをリュックから出す余裕もなく、あまり写真はない。失礼。

ラスト・サッパーということで豪華にキッシュなんて食べちゃってます。

出発当日の朝、3時。

んー下から見上げると高い!!

もう降り際。

もう降り切っちゃいました。

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