2011年11月16日水曜日

Bilbao または Bilbo

サンセバスティアンから次の目的地、ビルバオ(バスク語ではビルボ)までの交通手段はバスと電車がある。
バスは電車より少し値段は高いけど、1時間ちょっとで着く。他方の電車はバスより少し値段は安い代わりに、2時間半かかる。
迷いはしたけど、この他の交通手段は全てバスだということもあり、電車にコトコト揺られてゆっくり旅をすることに。
電車に乗り込む前に、小さな食料品店で飲み物、パン、チーズ、イワシの缶詰、イカのイカスミ漬けの缶詰、果物などを買いこむ。

話が少しそれるが、スペインはそれなりに鉄道網は発達していて、AVEなどの高速列車が大都市間は繋いでる。
しかしこれらの鉄道網はRenfeという政府出資の鉄道会社が担っていて、私鉄はカタルーニャの一部とバスクにしかないといっていい。

そして、サンセバスティアンとビルバオをつないでいるのもそのスペインでは稀な私鉄、バスク鉄道(EuskoTren)である。

買い込んだ食糧を持って駅に行き、乗り込むべき電車を見て、あらびっくり。
大都市間を結び、かつ2時間半もかかるのだから、それなりにしっかりした電車かと思っていたらホームに入ってきたのはかわいい4両編成の小さな電車。いや、電車というか都電荒川線っていう感じ。

電車に乗ってから約30分で買い込んだ食糧はほとんど食べ尽くして、あとはぼーっと外の景色を眺める。
こういうのんびりした移動もいいものだ。
電車は内陸の小さな街をいくつも通り、ゆっくりゆっくり進んでいく。外の景色は今までスペインに来て以来慣れ親しんでいた木のない赤茶けた大地ではなく、緑に覆われた丘、渓谷を通っていくので、いつまで見ていても飽きない。
2時間半はなんの苦も無く過ごせ、バス旅ではいつも悩まされる疲れも酔いもなし。
電車を選んでよかったな。

ビルバオについて少し。
ビルバオはスペイン第10位の人口を抱える、バスク地方屈指の都市である。
歴史的にはまず中世に羊毛の輸出により栄え、そこで着実に北ヨーロッパからの富を蓄積し、スペインの黄金期と呼ばれる次期には北スペインの商業と金融の中心地として繁栄した。
また産業革命期には、周囲の山から上質な鉄鉱石が産出されたことから、製鉄や造船などが栄え、繁栄の頂点に達する。19世紀には「スペインで一番豊かな都市」とも呼ばれていたらしいし、事実そうだったであろう。

しかし20世紀に入ってからはかつては栄えた重工業も衰退してしまったため、都市を再開発することで、観光業や金融業に重点を置くようになる。
1997年にはニューヨークにあるグッゲンハイム美術館の分館であるビルバオ・グッゲンハイム美術館が設立され観光客の誘致に成功、今ではビルバオの顔となっている。
実際にビルバオの街並みはスペインの街とは思えないほどに綺麗に整備されており、都市の至る所に近代美術のオブジェなどが展示されている。
まるで街全体が美術館のような、近未来的都市である。

それでも街の東側には旧市街も残っている。
そこには街が繁栄を極めていた時に建てられてたであろう古くて大きな建物が数多く並んでいる。再開発地区の近代的美しさと旧市街の美しさのコントラストはまたいい。
けど再開発地区から川の向こう岸の旧市街を眺めると、なんだかノスタルジックで大きくて立派な建物も悲しげに見えた。

ビルバオからの帰りのバスの窓からはかつて鉄鉱石を掘り出していたであろう山がたくさん見えた。未だに山肌が剥き出しになっている山、一部だけに針葉樹林が植林されている山。
ビルバオ市内で会ったある老人によると、まだいくらでもこれらの山からは良質な鉄鉱石が産出されるらしいが、ブラジルや中国などの資源大国の安い鉄鉱石との競争には到底勝てないそうである。その老人も以前は鉄鋼業に従事していたらしく、少し悲しそうに話していたが、所々剥げた山もどこか悲しそうであった。


なんかバラバラと好き勝手に支離滅裂な文章を書いてしまった。失礼。あとは写真で勘弁ね。
しかし本当にこのバスクの旅は実に楽しかった。
なによりも他の言語との関係性さえ分からない“特異”な言語を話し、西欧の大国であるスペインとフランスに挟まれるような地域でありながら、常に自治、独立を求めてきたバスクという地域にとても興味が湧いたのはうれしい。
「もう少しバスクについて勉強してから来ればもっと楽しめたかも」とも思ったけど、実際に来てみないとこんなにバスクについて興味を掻き立てられることもなかっただろう。
スペインに居る間に必ずやもう少しバスクについて勉強して、また訪ねよう。
























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